2月上旬の晴れた日に

光彩

同性婚について「家族観や価値観、社会が変わってしまう」と言った首相の言葉に違和感をもたない人は、本人含め、もうすでに変わっているものに気づいていない、平均化された社会の中で安穏と生活しているよほど周りの見えていない人かもしれない。

古きものを良しとするのは、そこに古きを残すことが大多数にとっての価値があり、不利益となるものが最小に限られ、それが最低限の何らの制度等によって守られると約束された場合のみであって、そんなものはそう多くないし、変化し続けているその前提自体が常に秤にかけられるものである。

婚姻の法律上の前提条件が時代変わった現代にそぐわないものであることは、各裁判でも明らかになっているにも関わらず、未だに「理解させようともしていない」ものに対して「理解が得られていない」と言う言葉で片付けてしまうやる気のない国家。

自分自身、結婚という締結行為自体にこだわりがあるわけではないものの、20年近く共に生活し、愛している人がそばにいても、男女間であればそばにいることさえ無くても当然に得られる権利が得られないのは、あまりに不平等であると感じる。

男女間であっても、子供を生むつもりが全くない前提の婚姻、身体的・年齢的制約で子供を産めない人たちの婚姻等が認められ、子供を婚姻の理由に絡めることも無意味な中、結婚という言葉を同性間にそんなにも使わせたくないのならば、それは構わないが、権利は平等に与えてほしい。
それは全国民を擁している組織の最低限の約束事ではないのかと苛立たしく思う。

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